電話占いコラム

日本で生まれた占い師、「陰陽師」について知りたい!

「占い」は古来から人々の生活に結びついてきました。
今やゲームや映画の中にも登場する「占い」。その中でも特に、「陰陽師」という占い師を聞いたことがあるのではないでしょうか。

ここでは、陰陽師の歴史やあの有名アスリートとの関わりまで詳しく紹介します。

◆陰陽師の歴史について◆

陰陽師の「陰陽」とは古代中国の諸子百家の一つ、陰陽五行思想に由来しています。
その歴史は古く、飛鳥時代に高句麗からやってきた渡来人によって日本に伝えられたと言われています。

陰陽五行思想とは、万物は「火、水、木、土、金」の五つから構成されているという五行思想と、万物は「陰と陽」に分けられるという陰陽思想が合わさってできた思想です。

やがて、陰陽五行思想は日本独自の天文道や暦道を用いた呪術や占術となる「陰陽道」に発展していきます。
その陰陽道を志す者たちが「陰陽師」です。

平安時代になると、朝廷は陰陽師たちを管理するために陰陽寮という組織を作りました。その後、陰陽寮は明治3年までの間、約1000年近く存在していました。
陰陽師たちの主な仕事には天文道を駆使した占星術だけではなく、暦道を利用した気象予報や地相学を用いた都市計画なども含まれており、当時の日本で最大のハイスペック集団でした。

このように、陰陽師は国が公式に認めていた役職であり、現在でいう国家公務員のような存在でした。

◆安倍晴明ってだれ?◆

まず陰陽師と聞いて一番最初に思い浮かぶ人物は安倍晴明ではないでしょうか。

晴明は平安時代中期に実在した陰陽師です。
晴明を題材にした映画や小説や晴明を祀った神社などもあり、現代では人気No.1陰陽師と言っても良いのではないのでしょうか。

まずは、晴明の生い立ちについて紹介します。

晴明は幼い頃から大陰陽師の賀茂忠行の弟子となり、日々修行に励みます。
ある日、晴明は忠行と共に夜道を歩いていたところ、普通の人間には見ることのできない鬼の大行進である「百鬼夜行」を目撃してしまいます。忠行はまだ幼い晴明が自分と同じように鬼を見ることができる力があることに才能を感じ、忠行が持てる技をすべて伝授しました。

それからしばらくの時を経て、大人になった晴明は京都の有名なお寺である仁和寺を訪れました。
そこでも晴明は、仁和寺の僧侶たちに人並み外れた占術を魅せ、その噂は都中に広まっていきました。

やがて晴明は、その天才的な才能を活かして占術を行うようになり、85歳で亡くなるまで生涯現役の陰陽師でした。

◆羽生結弦と陰陽師の関わり◆

2018年の平昌オリンピックの男子シングル、フリーで羽生結弦選手は「SEIMEI」という曲を使った演技で人々を魅了し、見事金メダルを獲得しました。

この曲は「陰陽師」である安倍晴明をテーマにした曲です。
羽生選手のミステリアスな感じはどこか「陰陽師」を思わせる雰囲気がありますね。

演技に入るとまるで羽生選手に晴明が憑依したと思うほど、素晴らしい演技でした。
もしかすると会場が晴明の術にかかっていたのかもしれませんね!

 

いかがでしたか。「陰陽師」という存在はフィクションだと思っていませんでしたか?実は「陰陽師」はとても昔から人々の生活に深く関わっていたことがわかりましたね。

現代に「陰陽師」はいなくなってしまいましたが、電話占いでは多くの有名な占い師の先生たちがいます。何か困った時はぜひ相談してみてください。
きっとパワーをもらうことができると思います!

皆様からのご連絡をお待ちしております。

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